「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
2018年5月23日水曜日
モナドの声を聞く 20
○「面と線」について
「存在する線」は、
面の概念に含まれた「面積の構成要素」である。
このために「存在する線」の概念は
無限大に連鎖する力学として、
既にその時点で面と同一で等価である。
つまり線と面は
同じ概念を共有した「同じもの」なのだ。
永遠に連鎖する線(長さ)の概念が
「同じもの」として広さ(面積)である。
「解説」
(存在は連鎖によって構築された実体である)
(「存在する線」は「存在する面」ではない。
「連鎖する線の概念」は「存在する面」と
「同じもの」である。
もちろん「存在する面」も連鎖を続け
「空間」と「同じもの」である。
「同じもの」のあらゆる方向への無限大の連鎖、
それが存在と認識されるだけなのだ。
「そこに概念(存在の捉え方)が与えられる」。
線や空間、時間、物質、命、自我という概念として。
つまり存在の本質は「連鎖(ここにある力学)」であり、
全ての存在は同じ概念である。
この概念が実体であり、モナドと呼ばれる。
すなわち存在は「連鎖によって構築された実体」のことであり、
それが力学、同じものとして意志なのである。
存在は何処にも存在しない。
全ては同じ力学である。)
この線の無限大の連鎖も
今の連鎖と同じく
「存在する力学」である。
しかし線は、
存在する面の部分としての「面積を持たない」。
このために面における線の概念は
存在するものではない。
それは既に
「あるのに存在しない」
実体(モナド)であり、
線が存在しないためにその概念の外側に、
同じものとして「存在である面積(広さ)」は
構築されていく。
○「線と点」について
存在する点は、
線という概念に含まれた「長さの構成要素」である。
線と点も同一で
また等価である。
つまり点と線は
同じ概念を共有する「同じもの」なのだ。
無限大に連鎖してつながる点の概念が「線」である。
宇宙における「存在する線」は、
あらゆる概念方向に向けての無限大の連鎖を続ける。
しかし点は
「長さの部分」を持たないために、
線の中に存在するものではない。
長さの概念の中に存在するとは
線の部分、つまり「長さの概念」を持つことである。
こうして「長さの概念」を持たない点は
存在ではないことが明白である。
では点が持つ部分とは一体何か。
点が持つもの。
つまり点の構成要素は何か。
点は「長さの部分」だけではなく、
全ての部分を持たないものなのだ。
「全ての部分を持たない存在するもの」とは
それだけで既にモナド(実体・存在する無)である。
線における点は
あるのに存在しない「実体」であり、
点が存在しないことによりその概念の外側に、
同じものとして存在する線(長さ)は
構築されていく。
点は連鎖して
その概念の外側に無限大の広がりを持つ。
更に点自体も、
その概念の内側には無限大の奥行きが与えられている。
点(の内側)と無限大(点の外側)の概念は
「同じひとつのもの」なのだ。
点の連鎖する力学と同じ
点を構築する無限大の奥行き。
それを同じものとするひとつの世界。
点と世界がここにある、
たったひとつの同じ理由。
それが「無」と、無の無限大の連鎖「完全無」である。
「解説」
(無は連鎖して拡大する力学)
(「時間世界における今は
あるのに存在しない(実体)であり、
今が存在しないことによりその概念の外側に、
同じものとして存在する時間世界(時間軸)は
構築されていく。」
この文章は上記文章の
「線」と「点」という単語を
「今」と「時間軸」という
別のモナドに置き換えたものである。
存在する点(モナド)の力学(連鎖)を
我々が理解することは難しい。
けれどもこれを
「今と時間軸」という
別のモナドに置き換えてみると、
その絶対的な力学の支配は
我々の実感を伴うものとなる。
実体のあらゆる方向への無限大の連鎖、
それを現実の力学と理解するための
時間の流れ。
点は同じものとして線である。
点は同じものとして今である。
今は存在ではない。
連鎖する今が時間軸である。
つまり今と時間軸も同じものなのだ。
個(点・今)であるはずの実体が
同じものとして全(線・時間軸)であること。
それが何者にもあがらうことの出来ない
全ての存在を統括する実体の無限大の連鎖
「モナドの力学(完全無)」である。)
同じものとして無限大に広がること、
それが存在するモナドの結末(完全無)なのだ。
ライプニッツはそれを
予定調和と呼ぶ。
この「モナドの力学」が世界の中心にある限り、
我々の宇宙は決して
膨張などしていないことが分かるだろう。
無限大に広がり続けることは、
言いかえれば
成長であり拡大である。
そこに描き出される宇宙には
空間も質量も時間も全てが増大し、
拡大を続ける世界の姿がある。
これはおかしいことだろうか?
同じひとつの力学(原理)から生まれた世界で
生命も人間の自我世界も概念を引き継ぎながら
拡大し成長を続けているのに、
この宇宙だけが成長もせず拡大もせず
ただ単に膨張するだけという認識が
本当に正しいだろうか。
宇宙が成長する現実は、
必ず科学が証明する。
「解説」
(物質は空間の構造)
(原子とは
「その構造によって力学を生む空間」のことである。
それは力学によって認識された
範囲を与えられた空間概念に過ぎない。
この空間の構造が
他の空間を引きつける重力を生み、
そこに物質の概念は創り出されていく。
重なって固定された空間と
その空間を失った為に生まれた「空間の穴」。
この空間の構造が原子である。
原子を形成するこの「空間の穴」が
外側の空間を引きつける欲求が重力であり、
内側の空間を引きつける欲求が核力である。
つまり質量とは
存在するものではなく、
「空間に力学が存在する状態」のことである。
この為に原子は「創り出されるもの」であり
同時に消滅して空間を広げる原因である。
空間概念の拡大は
同時に物質概念の拡大と同じ現象なのだ。
4次元空間から切り出されて
5次元空間として拡大する物質の空間世界。
これが我々の宇宙の構造である。)
実のところ生命世界にも、
種の保存法則は存在しない。
命は互いに命を求め続けること(本能・食物連鎖)によって
お互いの生命の内外へと拡大し、
生命世界の更なる飛躍と強化をその「目的」とする。
命の中にある「失われた命」の構造が
本能として同じ命を求めるのだ。
その広がりが
多様性と呼ばれている。
この世界に保存の原則はない。
エントロピーは常に増加する。
成長と拡大こそが大原理であり
この宇宙の構造である。
生命世界は、
自らが存在するその環境でさえ
自らの手で改善しながら
命の可能性を最大限に広げていく。
それがモナドの拡大する同じ力学である。
我々の意識はまだ
世界の本質に追いついていない。
宇宙の果ては今なお加速しながら遠ざかり
それにもかかわらず
世界はまるで定常のように安定する。
だが最果ての宇宙から我々の宇宙を見ると
光速度で遠ざかり消えゆくように見えるのは
今度は我々の宇宙の方である。
そして140億光年先の遠ざかる宇宙には
140億年後の「今」の我々の宇宙と
同じ時間帯に存在する同じ世界がある。
それは我々の宇宙と変わらない、
同じ姿の他の宇宙である。
そこからは我々の銀河系の140億年前の姿も
同時に見えるはずである。
我々の銀河系を中心に
宇宙は生まれた訳ではない。
つまり宇宙にはその始まりとなる
中心(ビックバン)は存在しないのだ。
宇宙を広げているのは
全ての恒星、太陽の活動によるもの(太陽風)である。
そこでは常に、
新しい原子と空間が生まれている。
物質とは単に切り取られた空間の構造なのだから。
事実(本当の正しさ)はやがて
我々を導くことだろう。
人間を引き上げる為に
宇宙はその姿を隠し続けて来た。
我々が正しい理解を示して後、
はじめて宇宙は本当の姿を
我々に見せてくれるのだ。
その理解の先に人間は、
この世界を「ひとつの同じもの」として認識する
正しい解答を得ることだろう。
点の内側と
宇宙の外側の世界は
同じものである。
命や人間、人間の精神世界を磨いてきたのは
どんな時代でも
この宇宙(自然界)である。
我々の目はいまだ閉ざされたままである。
The third eyes
あなたの瞳は私の瞳である。
私の瞳はあなたの瞳である。
(実のところ生命世界にも、物理の世界にも、
保存の法則は存在しない。
命は互いに命を求め続けること(本能・食物連鎖)によって
お互いの生命の内外へと拡大し、
生命世界の更なる飛躍と強化とをその「目的」とする。
世界に保存の法則はない。
あなたの自我世界が
無限大に成長できるのは何故だと思う?
それは自我世界がこの大宇宙と「同じもの」だからだ。
あなたの内側と外側の無限大の世界は同じものである。)
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